2023/11/4 アサーティブあれこれ
行動に名前をつけたらラクになった
同居している義母に、ごみの出し方についてこんな風に言われた。
「あなた、ずいぶん遅い時間にごみを出してるわねぇ。
ご近所の方はみなさん×時までにはちゃんと出しておられるのに…。
ずいぶんギリギリの時間に出すのねぇ…」
義母は一事が万事こんな感じである。
「私はいいけど、周りの人がどう思うかしらねえ」とか、
「ずいぶん変わった野菜の切り方をするのね。ちょっとびっくりだわ」とか。
要ははっきり言わないのである。
なんか、イヤミなんである。
ゴミ出しの時間についてイヤミを言われたときは、私はとっさに訊き返した。
「おかあさん、それって×時までにごみを出してほしいということですか?」
すると、こんな返答
「そんなことは言ってないわよ。
ただ、あんな遅い時間ギリギリに出すのはうちだけなのよね…って思っただけで。
みなさん、×時までには【きちんと】お出しになっているようだから」
【きちんと】という言葉にカチーン!と来た私は、心の中で大炎上!!
しかしその場で感情をぶちまけて険悪になってはいけないから(これまでそれで何度も失敗してきた)、
「大丈夫ですよおかあさん。
決められた時間内には出してるので、問題ないですよ」
と、ごく短めににそれだけ伝えてその場を離れたんだけど、正直私は腹が立っておさまらなかった(2日くらいどす黒い感情があとをひいた…)
が! ふと思い出したのである。
「あっ!これ!!
アサーティブの講座で学んだコミュニケーションパターンのひとつ、いわゆる『ネッチー』というやつだ!
はっきり言わずに遠回しに伝える『作為的パターン』ってやつだ!
すごい!!『生きた生身のネッチーの典型』を今、私は目の当たりにしているんだ!」
私はその時興奮した。
まるでネス湖の伝説の恐竜ネッシーを発見した人のように。
そしてなんだか怒りがスーッと小さくなっていった。
いわゆるアサーティブでない伝え方の典型パターンである「ドッカン(攻撃型)」「オロロ(受身型)」「ネッチー(作為型)」は、その人が生き延びるために(サバイバルするために)身につけてきた行動パターンだと講座で教わったことも思い出した。
(おかあさん、その技を使ってこれまで生き延びてきたんだろうなあ。ここは田舎だし、近所の目が気になるんだろうなあ)、と。
これまでは心の中で「イヤミBBA」とつぶやいたりして、義母そのものにレッテルをはっていたのだが(涙)、人にではなく行動に対してに名前がついたことで、見え方が変わってきた。
しかも、自分の中でちょっとかわいい名前(「ぷち・ネッチー」とか)がついたことで、不思議なことになんだかちょっとラクになったのである。
正直、ネッチー技(わざ)で言われると瞬間カチンとくるのは確かなのだが、今後どんなネッチー技でかかってこられても、こっちがアサーティブな態度であれば、恐るるに足らず。
むしろ多彩なネッチーの技を観察してみようかとも思っている今日この頃です。(がんばります!)