2009/7/31 講座から
アサーティブに伝えることは「目的」ではない
今年度から始まった新しい講座「アドバンス講座」では、昨年度までの「準備講座」以上に、アサーティブネスの「Being」について議論することしています。
その中でもくり返し皆さんにお伝えしているのは、アサーティブであることとは「目的」ではない、ということです。
アサーティブネスを学び始めると、何でもアサーティブに伝えなきゃ、アサーティブに伝えれば自分の気持ちや要求は相手に伝わる、アサーティブに伝えれば何事も丸く収まる、と思い込んでしまうことが度々あります。確かにアサーティブな態度や伝え方の方法を使うことで、攻撃的な言い方や受身的な言い方よりも、結果として「伝わりやすい」ことは確かでしょう。
ただし忘れないでいただきたいのは、「伝えるための方法」はあくまで「心」があって初めて生きるということです。つまり、本当に誠実に自分自身に向き合い、誠実に相手に向き合おうとしたとき、「結果として」アサーティブな態度になる、ということなのです。
アサーティブであるとは、本当に、心の底から自分の存在に敬意を払い、自分が大切な存在であることを認め、同時に相手の存在に心の底から敬意を払い、自分と同じように大切な存在であることを認めた上で真摯に向き合おうとするときに、自然に態度として現れてくるのではないでしょうか。
以前、アン・ディクソンさんが来日したときの講演会で、参加者の方が「アンさんにとって、アサーティブネスを一言で言うとすれば何ですか?」と質問をしたことがありました。彼女はしばらく考えた後、「そうですね、『自分自身にとって真実である(To be true to myself)』ということでしょうか」と答えたことを思い出します。
どこかにアサーティブなモデルがあって、そのアサーティブなモデルに近づくのではなく、実はより自分自身に対して真実になること、それが私たち一人ひとりにとってのアサーティブネスであるということなのです。自分自身に正直であること、ロボットではなくヒューマン(人間)であるということ、でもあるのではないかと、私自身は思っています。
方法とマインドと。どちらも大切なことですが、方法だけが一人歩きしないよう、マインドを本当に大切にしながら、自分自身にとってのアサーティブネスを探っていっていただきたいと思います。