2010/7/4 汐生の思い

当事者がアサーティブになること

介護の現場で、「介護される側」と「介護する側」がもっと対等にコミュニケーションできるといいのに、という声をよく聞きます。

「介護される側」はどうしても、立場的にも気持ち的にも「する側」に比べて「下」になってしまいがちです。「やっていただく」という感謝の気持ちは、えてして「申し訳ない」「迷惑をかけている」という感情に押し流されてしまいそうになります。

私の父が特別養護老人ホームに入っていた時も、私たち家族はどうしても「お世話してもらっている」という弱い立場になってしまいました。不満や要望があっても、対等にものを言うということは本当に難しい。直接相手に伝えたら、「不快な思いを与えてしまい、後の関係がぎくしゃくしてしまうのでは」という不安に縛られて、言葉を飲み込んでしまう。

本来、サービスの受け手と与え手は対等であるべき。にもかかわらず、「与え手」の側が上から目線になったり、受け手の側が必要以上に卑屈になったり、ということは日常茶飯事で、その中で対等にコミュニケーションを目指すことは本当に難しいというのが現状です。

それを考えるたびに、実は私が役員としても関わり、設立の当初から発展を見てきた障害者の自立生活センター(CIL: Center for Independent Living)を思い出します。CILはもともと、障害をもつ「当事者」による「当事者」のためのサービスを提供する団体ですが、彼らが長い間取り組んできたのは、介助される側と介助する側の「対等な関係」です。

障害を持つ人たちの介助とは、単なる「介助の関係」だけではなく、介助を通して見えてくる社会の差別や問題に向き合うことです。そして、介助を通して、誰もが生きやすい社会を目指すという、大きなミッションを持っているのです。あなたと私の介助の関係が、実はよりよい社会を作っていく一端を担っているのだと、私自身何度も教えられました。

介護の課題とは、誰もが最期まで「人」として誇りを持って生きられること、それをサポートするという意味を持っているのではないでしょうか。その意味では、20年にわたるCILの活動から得られた膨大な知恵やスキルは、これからの高齢化社会に適用することができるのではないかと、私は思っています。

障害者の当事者運動には、アサーティブトレーニングがものすごく活用されてきました。同様に高齢者の当事者の方々が、もっとアサーティブになり、サービス提供者と対等になってよりよい社会を目指していくような、そんな取り組みもできたらなと思っています。