2010/9/16 事務局から
柔らかい感性を持ち続けること
現在、過去のブログ(2004~2006年)の内容をまとめてブックレット化しているところです。2004年といえば、私がフィリピンから戻ってきて1年かけてNPO法人化したばかりのころ。
その頃のブログの内容を読んでみると、社会起業に対する熱い思いとフィリピンでの体験から学んだ新しい価値観に関することがちりばめられていて、改めて「私ってがんばっていたなあ」と感心しました。社会の問題に真摯に向き合い、自分自身の「言葉の正しさ」を反省し、まなざしは限りなく社会へ向かって広がっていたように思います。
法人化して6年目。今や私の仕事は研修の仕事をしながらも、マネジメントのお仕事が増えました。組織のサバイバルやよりよい経営、アサーティブジャパンの今後の方向性などを考える、組織運営者としての仕事が圧倒的に増えてきています。
それは、法人運営をするために必然的に向き合わなければならないことなのですが、それでも5,6年前の自分自身のピュアな「熱さ」に触れ、ちょっとまぶしいような恥ずかしいような、そんな感じを持ちました。
その中で随分と語っているのが、1年前に亡くなった父のことです。
父は亡くなるまでの数年間は、一日静かに座ってただニコニコと笑っているような人でした。すっかりものを言わなくなった父に帰省するたびに話しかけ、母の介護のお手伝いをし、娘としてそれまでできなかったことをできる限りするように心がけながら、時間をかけてお別れを伝えていた日々でした。
そこでの父に対する思いや、そばで介護をする母との会話など、当時のブログには人間としてのリアルな言葉がたくさんつづってありました。両親に向き合いながら自分自身のこれまでのあり方や生き方を問い直し、これからどう生きていくべきかを探っていた時期であったようにも思います。
ついロジックを駆使して頭でものを考えてしまいがちな私ですが、過去の柔らかな自分の文章を読んで、ああ、これも自分だったのねとしみじみ感じているところです。
固くなった頭をどんなに絞っても、柔らかな変化は生まれてきません。柔らかな感性を保つためには、それを教えてくれるたくさんの「他者」との出会いを作っていく必要がありそうです。当時の私が「フィリピン」という大きな他者との出会いから、自分を柔らかくすることができたように、そんな変化の時間をこれからも作っていかなきゃと改めて考えているところです。
ツイッターを始めて日常の「つぶやき」が増えてくるに従って、ブログが非日常の論文のようになりつつありましたが、もう少しこちらも日常的な「柔らかな気づき」程度に書いていきたいと思います。
みなさん、引き続きよろしくお願いします。