2010/9/23 出張から

当たり前の言葉を忘れない

先日、大阪のある会社で研修を担当させていただきました。大阪の下町である専門の商品を作っている社員30数名の小さな町工場です。

会社の文化はトップの人柄がとても影響しているといつも思います。誠実で物腰の柔らかな社長を支えるように、30代のがんばる男子と心やさしくてあったかな年配のパートのおばちゃんたちが、毎日一生懸命仕事をしている、そんな様子が見て取れました。

壁には手作りの「改善シート」がたくさん張ってあり、現状の問題点と改善の提案が手書きで書いてありました。工場の中ではスリッパも椅子もきちんと並べられ、しっかりと丁寧に仕事をしようという気概が、そこここに漂っておりました。

時には取引先からの納期や業務量の厳しい仕事もあり、上司はそれをチームメンバーに伝えていかなければなりません。「忙しい時にもっと忙しくなるのがわかっていても、それでも頼まなければならないこと」というのが、実際に日々の業務の中にたくさん転がっているわけです。

そんなときに、上から目線で「これやっといて」というのでは、通じません。そんな「指示言葉」ばかりが続くと人間関係は疲弊していきます。自分も人間、相手も人間。人間としての「気持ち」や「思い」を無視して依頼・指示をしているだけでは、協力関係は育っていきません。

私がそこでとても感心したのは、特に年配のパートさんや社員さんが「ごめんな」、「ありがとな」、「悪いねえ」などの言葉を、自然に心からかけ合っていたことでした。チームで仕事をするとは、「お互い様」のことなのです。お互い迷惑をかけ合って、無理を承知でお願いしあって、それでもより良い製品を作るために、もっといい会社にするために、声をかけ合って協力しているわけです。

「ごめんな」「ありがとな」という心のこもった一言が、協力関係の土台を作っている。

大阪弁だったのもあるのかもしれませんが、マクドナルドなどのチェーン店での機械のような「ありがとうございました」に慣れている身としては、ずっとずっと心のこもった言葉に聞こえました。そんな風に言われると、こちらも「お互いさまよ、一緒に頑張ろうね」と自然に言いたくなります。

指示や指導、注意や評価にかかわるコミュニケーションは、理論的でかつ具体的なものが求められるでしょう。しかし日常の「ごめんね」「ありがとう」「悪いねえ」などの人間としての思いやり(共感)の部分が土台にあってこそ、初めてその上の「コミュニケーション」が成り立つのではないでしょうか。

当たり前の言葉を大切にしたい。そんな大切なメッセージをいただいた貴重な一日でした。