2011/6/7 講座から
建設的に批判する
震災からもうすぐ3か月になろうとしています。放射能という「見えないもの」を意識するようになったことと並行して、これまで見えなかったものがくっきりと「見える」ことにも気づきます。
「見えるようになったこと」とは、例えば、何を大事にしているのかの価値観の相違であったり、不安に相対したときの身の処し方であったり。身近な人の何気ない言葉に「ええっ!こんな風に考えていたの?」と驚くこともあれば、「震災後にさらにお互いが近くなった」という夫婦の関係もあるようです。
このような、相手と価値観が対立してしまう時に、アサーティブに振る舞うということは、いったいどういうことなのだろうかと、震災以来ずっと考え続けています。その中で特に感じるのが、「自分と違う考え方を持った人たちへの批判のしかた」を、私たちは身につけていく時期にあるのだろうなということです。
意見が対立した時に、「あなたは間違っている」と相手を非難、攻撃したり、反対に「あの人は、どうしようもない」と相手を無視したりというような行動を、この間ところどころで見たり聞いたりしました。「和」を大事にし、「出る杭は打たれる」的な日本の文化の中で、お互いを攻撃するのではなく、違いを尊重して、話し合いの中から問題解決に動いていくという術を、私たちはこれまで身につけてこなかったのだなと、つくづく思うのです。
アサーティブトレーニングの講座の中でまず学ぶのは、「フィードバック」です。フィードバックとは、相手の人格と行動とを分けて、人格は尊重しつつも相手の行動や態度に対して、「ここはとてもいい、でも、ここについては○○のほうがさらによくなる」という、具体的で建設的な批判を"プレゼントする"作業です。
私自身、1991年にイギリスでアサーティブトレーナー養成講座を受けた時も、アサーティブな理論の伝え方やロールプレイのファシリテーションの前に、徹底的に訓練されたのは、「建設的なフィードバックの出し方」でした。フィードバックを適切に具体的に相手に届くように言葉にすることを、くり返し、くり返し、練習したのをよく覚えています。
最近も、とある英国人講師と一緒に仕事をしたときに、このことを痛感しました。彼は本当に、フィードバックが上手なのです。相手を尊重してほめるところはほめるけれども、まずいところはまずいと、具体的に、本人が納得する形で伝えることができるのです。受け取った側も、「なるほど」と理解し、行動に移そうと思うのです。
彼が、ということよりも、私はイギリスの教育現場での訓練の結果ではないかと思います。「人」にフォーカスして責めるのではなく、「事」にフォーカスして改善点を具体的に述べるというスキルを、私たちはもっと意識して身につけていくべきなのでしょう。
相手の行動や態度、考え方や振る舞いなどで、まずはどこを「よい」と思うのか、そして、どこを具体的に変えたほうがいいと思うのか。相手が理解し、納得して行動に移せるようなフィードバック=建設的な批判は、日々の仕事や家族の関係の中で意識して取り組んでいくしかありません。その日々の積み重ねから、対話の土台はできていくのではないかと思うのです。