2011/10/9 汐生の思い
「ノー」はいつ、どのように判断したらいいのか
アサーティブトレーニングでは、「ノー」の伝え方について学びます。相手の気持ちや価値観を尊重しながらも、自分の「ノー」を率直に伝える、伝え方の具体的な方法についてロールプレイをくり返して身につけていきます。
「ノー」と伝えることで、相手が拒絶されたと思うかもしれない、傷つくかもしれない、反発や攻撃されるかもしれないということを覚悟の上で、率直に誠実に伝えるためには、「伝え方」そのものを日ごろから訓練しておくことがとても大事になります。
しかしながら、実は一番難しいのは、自分の「ノー」の判断そのものではないかと思う時があります。いつ、何について、どこまで、なぜ、自分は「ノー」と言うのか、ということです。
例えば。
自分の身近な人が好ましくない行動をとっている(お金の使い方や食べ物、嗜好品など)。その時、いつ、なぜ、何について、自分は「ノー」を言うのでしょうか。「これ以上はダメだ」「もうやめてもらいたい」という「ノー」の線は、いったいどのように判断すればいいのでしょうか。
相手から好ましくない行動をとられている(理不尽な批判、個人的な質問の数々、必要のないものを勧められる、など)。その時、いつ、なぜ、自分は「嫌だ」という線を引くことができるのでしょうか。相手が善意の場合はどうでしょう。また、悪意の場合はどうでしょう。
業務のようにきちんとコストや期限の限界が明示されていれば、その判断はしやすいのですが、こと人間関係においてのそれぞれの境界線や価値観が関わるとき、その判断はぐっと難しくなるのです。
つまり、ノーの「伝え方」も重要ではありますが、ノーというタイミングや理由の「判断」そのものについても、しっかりと考えておく必要があるのではないかということです。
「これ以上はノーだ」と自分の境界線や限界について伝えるとき、自分の中の「大丈夫な線」と「大丈夫ではない線」を一体どこで引くのかという判断は、すぐにわかるものではありません。
アサーティブなコミュニケーションでは、なるべく早い段階で小さな「ノー」を確実に伝えよう、とお勧めしています。早いほど問題が小さいため、言葉にすることが容易になり、引き延ばせば引き延ばすほど言葉にするのが難しくなるからです。
しかし、その「ノー」の判断をするのは、私たち自身。そこが実はとってもとっても難しいわけです。
まあいいか、これくらい大丈夫、自分はこれくらいだったらできる、と、イエスと言い続けた挙句に、気づいたら心が折れる寸前だったということにならないように、ノーの伝え方とその判断については、日ごろから意識して訓練しておくことが必要になるのでしょうね。