2012/1/17 講座から
子どもに対するアサーティブはあるのか
最近ある方からご質問をいただきました。それは、「子どもに対してなかなかアサーティブになれない。どうしたらいいのか」というものです。これは、講座の中でも実に多く質問を受けることなので、今日はそれについて書いてみます。
子どもに対してキレてしまう、落ち着いて話したいのについ感情的になってしまう、何か言おうとすると小言や文句になってしまって、そんな自分に自己嫌悪。そういう時に「子どもにアサーティブに言う」にはどうすればいいのか、ということです。
私の考えは、「ノー」であり、「イエス」でもあります。
「ノー」の理由としては、「"対等性"について十分理解する前に、一番言いやすい相手(子ども)を相手にアサーティブのスキルを使うのは、ちょっと待ったほうがいい」ということです。
アサーティブの大きな柱の一つに「双方の対等な関係を目指す」というものがあります。親と子ども(未成年者)の場合、経済的にも精神的にもあまりにも大きな力関係の差があり、残念ながら親子の対等性は担保されておりません。そういうときに、親が自分の要望をアサーティブに伝えようとしても、子どものコントロールや管理になってしまう危険性があります。
私たち大人は心の中で「親の言うことには従ってもらいたい」「宿題をちゃんとやってもらいたい」「(大人の望む)"良い子"でいてほしい」などの要望や期待を持っています。それを言葉にすることは実に簡単です。しかしそのような要望をアサーティブに伝えたとしても(みなさんがすでに何度も試した通り)、望み通りの結果になることはほとんどないのではないでしょうか。
したがって、子どもに対してアサーティブに何かを要求する「前に」、アサーティブという奥の深い理論とスキルを、まずは自分自身に対してと、周りの大人との人間関係の中で、十分に使えるようになってから、子どもと向き合うことを考えていただけないか、ということなのです。
私が考えているのは、次のようなことです。
一つは、親自身が自己信頼を持つことです。
罪悪感に飲み込まれたり周りを責めたりすることなく、周囲の大人と誠実で対等な関係を築く力をつけること。親が子どもにあたってしまうときは、自分に余裕がなかったり、自信をなくしていたり、仕事や家事で疲れていたりする場合がほとんどです。「子どもが○○だから言わなくちゃ」の前に、「自分は何を感じ、何に腹を立てているのか」「本当の問題はどこにあり、向き合うべき相手は誰なのか」を考えて、自分自身と正直に向き合って考えることが先です。その上で、「自分はベストを尽くして精一杯やっている」ということを忘れることなく、自信と誇りをもって子育てにかかわってほしいということです。
もう一つは、パートナーや友人など周りの人に、子育てを一人で抱え込むことなく、上手に助けを求めて協力体制を作ることにアサーティブの理論とスキルを使えるようになることです。相手を責めることなく自分が卑屈になることもなく、率直に、誠実に、そして対等に自分の求めることを言葉にしていくこと。これはまさに日々の実践で練習できることですね。
日本の子育てをめぐる状況は、決して豊かなものではありません。
それは絶対に変えていく必要があると思っています。
アサーティブは直接的に社会を変えていくアクションであるというよりも、親が孤立感や罪悪感に足もとをすくわれて自責や他責、非難等に走ることなく、リラックスして自分を愛し、子どもを愛し、周りの人と協力できる「自分の内側の力」を鍛えていくことに役立ちます。社会を変えていくには知恵も仲間も経済も政治も必要です。社会的な活動をするグループの中でも、メンバー同士が敬意を持って協力し合い、アサーティブに話し合って問題解決ができるようになることこそ、長い目で見てよりよい状況へと変えていく力になるのではないでしょうか。
大人の私たちが、本当の意味で自分も相手も大切にできるようになれば、きっと子どもたちと向き合う姿勢も変わってくると思います。気づいたら「自然に」アサーティブな会話ができるようになっているはずです。その時は、「子どもにどう伝えよう」ということの答えは、すでに自分の中で見えているに違いないと、私自身は思っています。