2013/4/9 講座から

アサーティブを「生きる」

新年度に入り、新しい人間関係や仕事の中で心新たに過ごす季節となりました。私たちアサーティブジャパンでも、昨年12月に第9期のトレーナー養成講座が一旦終了し、先週末から最終プレゼンテーション研修が始まっています。

プレゼンテーションの中で「アサーティブとは何か」ということを各自語っていただく部分があるのですが、皆さんの発表を聞きながら、私自身にとっての「アサーティブとは何か」ということをじっくり考える機会をいただいております。

アサーティブなコミュニケーションは、対人関係のコミュニケーションのスキルであると同時に、対等で相互尊重の人間関係を促進するための心の姿勢でもあります。「言いたいことがうまく伝えられない」から、「伝わるように話す」ためにアサーティブのスキルを学ぶのではありますが、私自身がアサーティブを学び続けている理由はもっと根本的なところにあるようです。

1948年に採択された世界人権宣言の第1条には、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とあります。同様の内容は日本国憲法にも謳われています。法律上では、すべての人間は自由平等であるとされ、そうあるべきだと頭では理解していても、現実を見れば、差別や格差が存在し、人種や信条、性別や社会的地位によって人の扱いは異なり、「すべての人が平等である」という地平にはまだまだ遠い道のりです。

法律や制度はできても、人の心は簡単には変わりません。先の大戦から60数年がたち「権利」は当たり前のものとして生まれ育った世代が中心となりましたが、それでも、所有している物や知識、立場やバックグラウンドによって、相手を上に見たり下に見たり、自分を下に置いたり上に置いたりして、コミュニケーションをしているのも事実でしょう。私たち自身が、人間の価値に上下があるかのような振る舞いを続けているのです。

「人としての平等」が保障される社会にしていくためには、法律や制度を整えると同時に、私たち自身が日常の中で「平等を促進する行動」を取らない限り、本当の意味での平等な社会を創っていくことはできないのではないでしょうか。

アサーティブとは、法律上、制度上の「人間の自由や権利、平等や尊重」の概念を、私たち一人一人が、日常の中で行動し、振る舞いながら、足元から平等な社会を創っていくための指針だと思うのです。私たちが、本当の意味で「自分も相手も尊重した」態度やコミュニケーションを取り、そうした人間関係を現実的に作ることが、世界の法律が高らかに謳っている社会の平等や人間の尊厳を、土台から作っていくことになるのではないか。

アサーティブのトレーナーは、それを実践する人であり、身をもって伝える人でもあります。だからこそ、言葉でアサーティブの理論を伝えるだけではなく、私たち自身がアサーティブを「生きる」必要がある。人と人との対等な関係を作るコミュニケーションを伝える私たち自身が、言葉通りのことを日々の中で生き、実践し、簡単には変わらない現実に葛藤し、それでも、黙ることもなく、誰かを責めることもなく、あきらめることなく、静かに対話を続けていく。そうした力を持って生きていくことこそが、トレーナーに必要な力ではないかと思うのです。

以上のようなことを、週末の研修の最後に思わず熱くなって語ってしまいましたが、私自身はそこのところを心の底から信じてやみません。トレーナーを目指すすべての人に、自分の現場でアサーティブであり続けることを実践していってほしいと願っています。

「伝え手」であることに誇りをもって、自信をもって、悩みながら葛藤しながらしなやかに粘り強く、日々を生きていくことを続けていきましょう。トレーナー養成講座のみなさん、引き続きがんばってください。