2021/1/28 事務局から
アン・ディクソン氏を迎えて
数年ぶりにアン・ディクソンさんを(公式に)招聘することになりました。招聘といっても、オンラインでのワークショップの講師をお願いするということです。現在来日することができないのですが、オンラインツールのおかげで時差に気を付けさえすれば、直接彼女と話ができるようになりました。
つい先日、講演会に先行して会員向けのワークショップを開きました。先の見えない現状の中で、私たちがどのようにアサーティブなマインドを持ち続けることができるのか。不安から周囲を攻撃したり、恐怖で心を閉ざしたりすることなく、思いやりと自身の誇りをもって他者とのかかわりを保つことができるのか。
先日のワークショップでは、それを深く考えることのできるロールプレイを見せてもらいました。テーマは今のコロナ禍の中で、自分を卑下することなく相手を見下すことなく、ありのままの自分で相手と向き合うこと、でした。
今の状況に対して、不安を強く感じている人もいれば、それほど不安を感じていない人もいます。危機状況に対して私たちがどう感じ、どのように振舞うかは、一人ひとり異なるからです。とはいえ、感情を押し殺してロジカルになろうとすればするほど、不安を強く感じる人を、「下」に見てしまいそうになる。例えば、「そんなに怖がるのはおかしい」「これくらいで、そんなに不安になるのは変じゃないか」など。その圧力が強くなればなるほど、感じる側はその不安をますます内在化していってしまいます。
「不安を強く感じる側」が、そうではない相手とどのように向き合えばよいのか、というのがロールプレイの主旨でした。そこでアンさんが伝えてくれたのは、たとえ感じることが異なったとしても、お互いの関係性は対等であることをあきらめる必要はない、というメッセージでした。
不安に感じている自分を“下に”置いて話すのでなく、相手と対等な立ち位置で話すとはどのような話し方なのか。特に、相手が「そんなに怖がるのはおかしいよ」と自分を“下に”扱ってくる場合に、どのように振舞うことがアサーティブなのだろうか。事例を出してくれたのは会員のYさんでした。Yさんは、自分が感じる不安感について家族に理解を求められず、いつも「そんなに怖がるのはおかしい」「考えすぎだよ」「心配しすぎだよ」と言われ、自分の感じるリアルな感情をまともに取り扱ってもらえない。そのように感じていました。
周囲からそうした扱いを受けるたびに、不安を感じる自分がおかしいんじゃないか、感じてはいけないのではないかと混乱し、さらに不安に飲み込まれそうになる日々だといいます。
アンさんが出してくれた方向性は次のようなことでした。
正直になること
自分自身を対等に扱うこと
そして相手との協力関係を目指すこと。
その上で、Yさんの会話の流れは次のようになりました。
正直に自分の気持ちを言葉にすることから、会話は始まります。
「とても言いづらいことなのだけれど」
「あなたが、今の状況をそれほど不安に感じていないことは、よくわかっている」
「ただ、私自身が不安を感じているのも、やっぱり真実なの」
「あなたと争いたいわけではない。ただ、私が不安に感じているという事実を、大切に扱ってもらえないだろうか」
「そして、この難しい状況を乗り越えていくために、一緒に何ができるかを考えたい」
今の状況の中で、何を感じるかについては、人それぞれが異なります。感じることがおかしいとか、その感情を持つ人は自分よりも下だという扱いを受ける必要はない。自分が感じることは、自分自身のありようそのもの。それを鼓舞する必要もなければ、卑下する必要もないのです。
自分が不安に感じないからといって、不安にとらわれる人をないがしろにしないように。それをアンさん自身も、自分に言い聞かせているのだと話してくれました。不安を感じる、あるいは感じない相手を対等な存在として受け入れつつ、どうすればこの難しい局面を乗り越えていくことができるかを、一緒に考えていく。そのためにこそ、アサーティブに言葉することを忘れないでというメッセージでした。
先の見えない状況の中で、感じる力を失うことなく、そして他者に対する思いやりを忘れることなく、誰かを責めるのでも自分を責めるのでもない対話の力。それを改めて確認することができた時間でした。講演会やワークショップは続いてきます。ぜひチャンスがあれば参加いただき、一緒に乗り越えていく力をつけていきましょう。