2019/6/11 アサーティブあれこれ
「対等性を信じること。そして、誰も攻撃しないこと」 アン・ディクソン氏からのメッセージ
15周年を迎えたNPO法人アサーティブジャパンの記念総会にて、イギリスのアサーティブトレーニングの第一人者アン・ディクソン氏からメッセージをいただきました。
長文のメッセージの中から、内容を一部抜粋したものを皆様にお届けしたいと思います。
以前来日時にアン・ディクソン氏に直接指導を受けた方や、アン氏の著書をお読みになった方はもちろん、今回はじめてお知りになった方も、ぜひお読みいただければと思います。
(アン・ディクソン氏)
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< アン・ディクソン氏からのメッセージ >
今回、アサーティブジャパンの創立15周年記念総会にメッセージを送れることを、とても光栄に感じています。
現在、世界にいる数多くのトレーナーがアサーティブトレーニングを行っています。しかしその中身はいとも簡単に、表層的なものになっています。
アサーティブの定義とは、単なる話し方のテクニックを練習するでしょうか。それとも、それ以上にもっと深い意味を含んだものでしょうか?
私の次の言葉を、皆さんはきっと理解していただけると思います。
「アサーティブの深い意味」とは、次の2つのことを心から信じて、立つことです。
対等性を心から信じること、そして、誰も攻撃しないことです。
対等であること、誠実であること、そして、誰をも攻撃しないこと。
考えてみれば、これほど今の時代の中でラディカル(過激)なものは、あるでしょうか。
この原則は、今の世界に真っ向から対立するものです。
私たちが毎日のように直面している、人と人との分断や暴力とは、全く逆のことです。
対等性どころか、貧富の差が広がり、極度の不平等が見えます。
協力的である代わりに、他者を蹴落とす競争が、主流となりつつあります。
競争は、スポーツの世界だけにとどまりません。
経済界でも政治の現場、医療の現場、そして、ビジネス界においてもです。
私たちは、いかに違うかばかりに目を向けて、どうすれば協力できるか、という視点を持てていません。
(↑ 2006年来日時のワークショップの様子)
私が今お話ししている世界の図は、あまり希望的なものではありませんね。
次々に流れてくるニュースが、暴力に満ちたものばかりだからです。
世界には、私たちがコントロールできないものがあまりにも多すぎます。
こうした現状を目の当たりにすると、簡単に無力感に打ちのめされます。
自分は完全に無力な存在であると、自分に言い聞かせたくなります。
でも、一つだけ、選択肢があります。
私たち一人ひとりが選ぶことができる、一つの選択肢です。
これを理解するためには、アサーティブの本質的な意味に立ち戻る必要があります。
アサーティブが本質的に持っている意味です。
皆さんに質問をしますので、考えてみてください。
アサーティブと攻撃性を、はき違えてはいないでしょうか。
あなた自身、気づかないうちに、簡単に攻撃的になっていることはないでしょうか。
日々の生活の中で、攻撃的に反応してしまう癖から抜け出すことが、
どんなに難しいかを認識できていますか。
声のトーンを使ってひそかに相手を傷つけようとしたり、静かに責めながら相手をおとしめていることはないでしょうか。
相手に勝とうとすることが、どんなに魅力的かを忘れてはいませんか。
対等はいいことだと言葉では言いながら、自分より低い立場の人が自分に対して感情表現することを許さない、あるいは、相手が何も言わずに思い通りに動くことが当然だと考えることはないでしょうか。
自分に誠実になることが、どんなに勇気が必要か覚えていますか。
相手に勝とうとするのでなく、自分の鎧を脱ぐことが、どれほど不安になるかについても。
攻撃的な行動は、どんなものであれ、控えめなものから、過激なものまで、ひそかに話される批判の言葉であれ、周りを傷つける爆発であれ、必ず、必ず、必ず未来に攻撃の種をまくことになる、ということです。
今すぐに攻撃することではないかもしれないし、もしかしたら、攻撃先は別の人かもしれません。
しかし、攻撃的な扱いを受けたという経験は、自分が強い立場になった時に、必ずや攻撃的に表れることになるでしょう。
私はもうすぐ74歳になります。
アサーティブネスを何十年も伝えてきました。
私は何度も自分に問いかけます。
これほど多くの攻撃性の前で、私ができることは何だろう、と。
正しい答えはありませんが、私が考えたことや、心に決めたことを共有することはできます。
もしかすると、皆さんに役立てていただけるものがあるかもしれません。
まず何よりも、私自身は、攻撃の種を自分からまくことは絶対にしないことを、心に決めています。
自分の生活の中でも、自分の家族に対しても、友人、見知らぬ人、職場の同僚に対してもクライエント、誰に対してもです。
だからといって、大きな世界が変わることはありません。
しかし、少なくとも私自身がコントロールできる範囲内で、自分が「選択する」ことはできます。
私自身で、責任を取ることもできます。
私が自分のために、1回ずつ、1つずつ、自分で決めることもできます。
毎日私が何を話し、どう話すかは、自分で選ぶことができます。
もちろん、途中で間違うこともあります。
でも、通常、その地点に戻って、もう一度やり直すチャンスはあるのです。
私は、次のことを心の中で誓っています。
他者を対等な人間として扱うこと、誠実であること、率直であること、相手の話に耳を傾けること、そして話し合いが終わる時には、お互いの気持ちが十分に聴いてもらえたと感じられるようにすること。
これは、私が受身的になって、相手の言いなりになることではありません。
必要な時には、その場から立ち去ることができること。
必要な時に、声を上げるための勇気を持つこと。
何かおかしい、これは違うのではと思うようなことを見聞きしたとき、相手を尊重しながらも、きっぱりと反対意見を伝えることができるようになること。
相手も自分と同じ人間であるとして、思いやりを持って接すること。
たとえお互いがどれほど異なっていようとも、です。
これが、私が目指していることです。
(↑ 2013年来日時のワークショップの様子)
相手の考え方や行動を、こちらの期待通りに変えられないことは、たくさんあります。
だからといって、「自分はそうは思わない」という気持ちを飲み込む必要はありませんし、相手の間違った行動をはっきり指摘するのを、やめる必要もありません。
時にはそのことで、相手が居心地悪く感じることもあるでしょう。
相手が見たくない事実を指摘された場合は、特にそうだと思います。
私たちが、相手を評価することなく自分に誠実になることができれば、私たちが、自分の信じる価値に基づいて生きようとすれば、それは、本質に基づいた生き方になりますし、自分自身が本当の意味で、”等身大”になれるのです。
どうぞ、共にいる今日という一日を楽しんでください。
お互いを勇気づけ合い、チャレンジし合い、サポートし合い、尊敬し合ってください。
私たちの共通の価値は、今の世界にこれまで以上に必要なものだということを忘れないでください。
皆さんといつか再会できる日がくることを願っていますが、それまでは、どうぞ、心を開き自分自身に誠実になって、自分の人生を輝かせていってください。
______________ 2019年5月 アン・ディクソン