2014/2/13 中野満知子

苦しいままで寄り添ってみる

kiku.jpgこんにちは。アサーティブジャパン認定講師の中野満知子です。

暮れに飾った菊がまだ咲き続けています。玄関を出入りする度、自然に目に入ってくる凛とした姿に感嘆せずにはいられません。

高齢の母が入院して4ヶ月が過ぎようとしています。大変理解ある先生にめぐり合い、入院生活にもなじんでいるようです。
「寂しい」「寂しい」と一人暮らしていたころを思えば、入れ替わり立ち替わり看護師さんや介護士さんが話しかけてくれる環境や、他の患者さんたちとの交流は、社交家である母にはありがたい環境なのでしょう。

ただ病院であるからには、さまざまな規則があり、食事の制限や、物をあげたりもらったり、金銭の貸し借りなどはもちろん禁止事項です。
病気のせいか母は喉が渇くと言い、甘い飲み物や飴がほしいと訴えます。たまにしか行けない私は罪滅ぼしのように、つい母にあげてしまうのですが、そうして余分に持たせたものは、母の生きがいとでもいうように、他の患者さんに譲ってしまうのです。
この行為はちょっとした波紋を呼びます。
 
頭では病気がそうさせるとわかっているのですが、病院の規則を説明し、言って聞かせようとすると怒りだす母に、だんだん感情をエスカレートさせてゆく家族。その場に居合わせた私は、あっちによしよし、こっちによしよし、そうして病気なんだからとなだめたり、すかしたり、こうしたらいい、ああしたらいいと、思いつく限りの方法をいくつも並べたて、母や家族を説得しようとしていました。

あることがきっかけで、ふと気づいたことがあります。
病気に対する知識をふりかざし、もめごとを回避するための方法ばかりを言っている自分にハッとしたのです。

その場ではどうすることもできず、茫然と立ち尽くす私、泣きたいほど悲しい気持ちで起きていることを眺めている私、病気を何ともできず情けなく思っている、腹立たしく思っている、辛い、せつない私がそこにいます。

いつのまにか自分の感情に蓋(ふた)をしていたのではないだろうか? 自分の気持ちを感じつつ、逃げもせず、巻き込まれもせずに、ただそばに居続けること、解決ばかりに走ろうとせずとも、その場に起きていることに、その辛くて苦しい感情にどっぷりつかりながらただ寄り添うことも、また大切なことではないだろうか、と。

強くたくましく咲き続ける菊の姿に、今覚悟を決めて立ち続けようする自分を重ねています。