2023/5/1 アサーティブあれこれ
バリアの中での「建設的な対話」をあきらめない
アサーティブジャパン会員トレーナーの平間みゆきです。
私は1歳の時にポリオに感染し、両下肢に障害があります。
幼いころから雪深い東北の地でずっと車椅子で暮らしてきた私にとって、アサーティブとの出会いは人生観を変える出来事でした。
(当時オンライン講座などもなかったので、毎回講座を受けに車椅子で東京まで通いました)
長年知的障害者施設に援助職として勤務した私は、現在はフリーで障害のある人の人権、差別解消、虐待防止、自立支援、意思決定などをテーマに地域の事業所や団体からの研修依頼、会議、第三者委員などを通して、障害のある当事者として、支援者としての経験を生かし活動をしています。
一貫して伝えていることは障害のあるなしに関わらず「人としての尊厳」です。
新型コロナウィルスという想像もつかない事態を経て、オンラインで自宅から会議や研修にアクセスすることが可能になった今、車いすのため移動困難な私にとってはいろんなバリアにぶつかるストレスや悩ましさから解放されたことは事実です。
でもその反面、たくさんのバリアのなかでも「行ってきたよ!」という達成感と充実感、ワクワク感の格別な思いは遠ざかり、何事もさらっとこなしてしまっているような物足りなさ、便利さと引き換えに何か大切な物を置き去りにしているようなそんな思いもふとよぎるこの頃です。
バリアの中に飛び込んでいったからこそ、ヒートアップするほどの熱い思いもあったし、嬉しい事、発見、理不尽な思い、怒り、通りすがりの見ず知らずの人とかわす何気ない会話、いつでもどこでもアサーティブトレーニングでした。
良いこともイヤなことも、全部ひっくるめて心の箱いっぱい詰めて地元に帰ってきてはまた出かける。仲間と会い、共有し合い、語り合い、また帰る。
その繰り返しが確かな自信となり自分を突き動かすエネルギーとパワーの源になっていたのだと思います。
「多様性と共生社会」―東京オリンピック・パラリンピックを経て、良く耳にするフレーズですが、見えなかったこと、曖昧なことが可視化されることが多くなり、車椅子の不便さはわかっていても、自分以外の多様な人の不便さはわからないことがたくさんあることに気づき、ハッとする事があります。
「障害」というのは自分の一部分であり、自分以外のほとんどのことはわからない、実はみんなが当事者であり、そのスタートラインにいることを意識できた時にきっと「違いを認め合いお互いを尊重すること」「多様性を包摂すること」が実現するのではないかと、やっとこの頃ぼんやりと見えてきたようなまだ見えていないような…そんな状況です。
先日、「左利き」の方の日常の生活の中での不便さを聞く機会がありました。初めて知ることばかりでした。
考えてみれば私は車椅子の不便さを伝えてもなかなか伝わらないことがあります。同様に左利きの方の不便さを私はなかなか理解することが難しかったりします。
自分の中にある多様な属性によってはだれでもマイノリティになったり、マジョリティになったり、立場が逆転することは常にあるということ、だからこそ他者の視点をもち、対話を重ね、想像を働かせ、知恵を出し合い、創造し工夫することで解決することがたくさんあるような気がします。
「障害者差別解消法」が改正され、来年の4月からは「合理的配慮の提供」について、公民問わずに「義務化」されます。企業もその責務を持つことが明確化されます。
障害があることで生じる「差別や格差」→「合理的配慮の提供」→「差別の解消」のためには「建設的な対話」がキーワードです。
これはアサーティブで学んだことそのものであり、重要なポイントです。
自分の権利を押しとおすことでもなく、なんでもすぐに解決できるわけでもなく、正解もない、だからこそ「建設的な対話」をあきらめずに積み重ねていくことが、結果、良い関係を築き、お互いを理解することにつながると実感しています。
伝えたいことが伝わらなかったり誤解されたりぶつかったり、そんなことも多々あるなかで、日々の生活で遭遇する様々なエピソードに、「生きている」って楽しい、誰かとふれあう瞬間っていいな!と感じる毎日です。
ちょっと季節外れですが、これは近所の郵便局のポストの写真です。
何だが自分をみているようで愛おしいのです。
寒さにも負けず、夏の暑さにも負けず、雨にも台風にも負けず、雪にも負けず…いろんな人の想いをぱっくんとのみ込んでくれます。
絵本になりそうですね(笑)