伝え方のヒントブック
学習編:
やっかいな感情と上手につきあう
“感情的になる”ことと、“感情を言葉にする”ことは、別もの
「感情的になる」ことと「感情を言葉にする」ことは、全く別ものです。
「感情的になる」とは、自分の感情にちゃんと向き合わないまま感情に流されている状態を言います。猛烈に怒っている人が「怒ってない!」と言っていても、怒った態度がわかるとすれば、それは感情的な態度です。話に耳を傾けないで一方的に相手を責めたり、自分を責めたりするような行動もまた、感情的な振舞いです。
一方、アサーティブでは、「感情を言葉にする」ことを、とても大切にしています。
感情を言葉にするためには、まず自分の気持ちを自覚することから始めます。自分は今、怒っているのか、悲しいのか、嬉しいのか、淋しいのかなどを、言葉で認識するのです。心の中がもやもやしているときに、「本当にがっかりしたなあ」「結構カチンときたかも」「今の言葉に傷ついた」といったように、“もやもや”がどう表されるのかを考えます。
実際にやってみると、けっこう難しいことです。というのも、私たちの気持ちはひとつの感情でパシッと決まることがないからです。どちらかというと、愛情と淋しさが混在している、ショックで腹が立って落ち込んだ、期待と失望と怒りが入り混じっているなど、心の中は、マーブル色のようないくつかの色が混ざっている状態になっています。
そうした複合的な思いの一つひとつを認識することができてはじめて、適切な相手に、適切な言葉で、自分の感情を表現するかどうかを「考えて決める」ことができます。感情を言葉にすることは、そのまま「外に出す」ことではなく、自分の気持ちを見つめた後、それを実際に表現するか表現しないかをよく考え決めた上で、適切に表現できるということなのです。
感情を言葉にするのは、とても難しいけど大事なこと
自分の心の中で今起きている気持ちを「情報として」自分がキャッチし、そして必要であればそれを相手に適切に伝えることを、「感情の言語化」といいます。
私たちがそれを簡単にはできないのはなぜなのでしょう。
理由のひとつに、一般的に「感情的」であるよりも「理性的」であるほうがよいとされているため、自分が感じていることよりも頭で考えたことのほうを優先し、正しいと思うことがあります。特にネガティブな感情については、「そんなことを感じちゃいけない」と、感じたとしても頭で打ち消してしまう場合があります。
イライラしたりムッとしたりなどの怒りの感情の場合は、とくにそうです。ここで怒るなんて「大人気ない」「相手が気を悪くする」「怒るほどのことではない」、だから「感じてはいけない」。そのようにして、私たちはたとえ腹を立てたとしても自分の意識からなくしてしまいます。感じていないことにしたり、時が過ぎればきっとなくなるだろうと、怒った気持ちを無視して知らぬ顔を決め込んだりもします。
職場ではさらにその傾向は強くなります。「理性的な人」であるほうが、「感情的な人」であるよりもはるかに優れているとされているからです。仕事に感情を持ち込むことは、マイナスの要素とされています。
気持ちは飲み込んでも、消えてなくなることはない
ところが。飲み込んだ気持ちがどこかにいったり、消えてなくなったりすることはほとんどありません。
小さなことを、今回は「まあいいや」と飲み込むことは簡単です。ちょっとした感情であれば忘れることもできるでしょう。しかし、きちんと対処できていない未処理の感情は、体の中に溜まってきます。そして、相手に対して「もう我慢ができない」ところまできてしまうと、ちょっとした相手の行動やひと言が引き金となって、ついには爆発してしまうことになるのです。
小さな気持ちを飲み込むことは、その場の解決にはなりますが、飲み込むことが続くと、人間関係の問題に発展してしまうことがありますので、注意が必要です。
感情を適切に言葉にするのが難しいもう一つの理由には、私たちが感情を表現する語彙をあまり持っていないことがあります。これは日本語の特徴といえるのではないかと思うのですが、日本語は擬態語(「ヨチヨチ」「ふわふわ」など)がすばらしく発達しています。雨の音だけでも、ぽつぽつ、しとしと、ザーザー、ザンザン、ぱらぱらなど、何通りもの表現が見当たります。
ところが、こと感情をあらわす言葉を探そうとすると、たとえば職場で「怒り」を表現しようとすれば、せいぜい「腹が立つ」「憤っている」「遺憾である」「心外である」程度しかありません。
そうなると、出口を見つけられない怒りが相手への作為的な態度になるか、相手に対して「ムカつく!」と言うような、感情的な態度をとってしまう結果になるのです。そのような結果になる前に、アサーティブなコミュニケーションのために、表に出す感情の語彙を普段から増やしておくようにするとよいでしょう。
気持ちは体から生まれてくる
私たちの感情はどこからやってくるのでしょうか?
愛情は胸から来る(「胸がドキドキする」)、怒りはお腹のなかで膨れ上がる(「はらわたが煮え繰り返る」)、恐怖は背中が寒くなる(「背筋がゾッとする」)というように、感情は体のどこかにくっついて感じられることが多くあります。
実際、「腹が立つ」という表現は、もともと「腹」、つまりお腹の“丹田”あたりに煙が立つように、むくむくと何かが立ってくる、ということからきているといいます。また、東洋医学の分野では、感情と内臓は結びついていると考えられています。怒りは肝臓と、悲しみは肺と、恐怖は腎臓と、悩みは胃というように。
つまり、私たちが感情を感じるのは、きわめて身体的、生理的な現象なのです。
生理的現象であるとは、私たちの頭でコントロールできないということです。感情は頭でコントロールすることができません。コントロールできるのは、感じた上でどう振る舞うのかという部分であって、感じることそのものをコントロールすることはできないのです。そう思うと、少し気が楽になりませんか?
たとえば誰かに猛烈に腹が立って、「こんなことで怒っちゃいけない」と自分を抑えようとしてもなかなか抑えられず、そんな自分に情けなくなったり、自分を責めたり。そうした場合、腹が立ったり傷ついたりするのは当然である、自然なことである、なぜなら自分の中の大切な何か(あるいは自分の中の地雷)に触れてしまったからだ、と考え直してみます。
腹が立ったり傷ついたりしたとき、相手を責めることも、黙ることもできますが、誰をも責めることなく「いやなんです」「怒っている」と率直に、誠実に、対等に相手に伝える選択肢もあるのです。
そう考えれば、感情に支配されることなく、感情を感じた上で自分の行動を決めることができます。これが、感情をアサーティブに表すときの基本的なステップになります。